2日の金曜日、お子様たちが登塾する時間、ひときわ雨が強く降っていたのですが、全員のお子様がおみえになりました。
お子様を送ってきた保護者の方から「今日は雨が強いので子供に休んでもいいと言ったが『よだかの星』の続きを読みたいから、絶対に行くと言ってゆずらなかった」というお話をうかがいました。渇望をもって文章を読むことができるというのは非常に素晴らしいことだと思います。
授業の後半で実際に『よだかの星』の続きを読んでもらったのですが、すっきりしたという感じにはなりません。お子様たちは「いったいこの結末はどういうことなんだろう?」という疑問が浮かんだ状態で文章を読み終えました。(『よだかの星』の全文については、「青空文庫」で読むことができます。→こちら)
前記事にも書きましたが、今回扱った『よだかの星』は小学生にとってはかなり重たい作品です。これまで読んできた作品のような「読後のすっきり感」は味わえません。今回はあえて「いったい何なんだろう?」という状態を作り、それについてあれこれ考えてもらいました。
この部分で「よだかはなぜ笑っていたのだろう?」と問うたところ、「鷹に殺されずに済んだから」とか「もういじめられることがないから」といった小学生らしい答えが多く出ましたが、「もうかぶと虫などの虫を殺さずにすむから」といった鋭い意見も出ました。
宮沢賢治が菜食主義者であったことを紹介し、「(ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。)」という、よだかの心の声について考えてもらいましたが、「でも、植物だって生き物だから、何かすっきりしない」というような難しい疑問を抱いたお子様もいらっしゃいました。
あえて正解を出すわけではなく、文章を題材にあれこれと考えるという体験を今回はしてもらいました。こんな形で文章を読むことができるのも、活字を読むことに対してプラス感情を持てるようになっているからです。今後も読むことに対する前向きな気持ちを失わずに読んでいけるような題材を選んでいきます。