学校においては「わからない言葉に出会ったら辞書を引きなさい」ということがよく言われます。年輩の教師になると「辞書は電子辞書ではダメ、紙の辞書を用意しなさい」などと言うことさえあります。
しかし、ONEにおいては、少なくとも「意味のわからない言葉の意味を調べる」という意味においては、辞書の利用は原則として禁止しています。
ある知らない言葉の意味を辞書で調べて、説明を読んで理解できるかという問題があります。
たとえば「自我」という言葉を『広辞苑』で調べてみると以下のような説明があります。」
①認識。感情・意志・行為の主体としての私を外界の対象や他人と区別していう語。自我は、時間の経過や種々の変化と通じての自己同一性を意識している。身体をも含めていう場合もある。
②意識や行動の主体を指す概念。客体的自我とそれを監視・統制する主体的自我とがある。
③精神分析の用語。イドから発する衝動を、外界の現実や良心の統制に従わせるような働きをする、パーソナリティの側面。エゴ。
どう思われますか。小学生であっても少し難しい論説文であれば「自我」という言葉が登場することはけっして珍しくありませんが、その意味がわからないお子様に辞書のこの説明を見せたところで、かえって混乱を深めるだけです。
まずは「自我」という言葉の概念、ぼんやりとしたイメージを、教師が説明して「何となく理解してもらう」ことが必要になります。この段階で作られたイメージは、その後にさまざまな文章で「自我」という言葉に出会うたびに、広がりや深みを加えられ、自分なりの概念が徐々にできあがっていきます。読書量の多いお子様はこの作業を書物の中で繰り返し出会う言葉について、上手に概念を作り上げていくことができるのですが、最初からそれを望むのは酷です。
語句の意味というのは、必ずしも「一対一対応」ではありません。
お子様たちは、「子どものくせに生意気だ」と言われた翌日に「もう子どもじゃなんだから」などと言われるというような経験をすることがあると思います。「いったい自分は子どもなのか、子どもじゃないのか?」と悩んでもおかしくはないシチュエーションです。「子ども」という言葉の意味を「一対一対応」で覚えているだけでは対応できないということです。
もし「国語辞典」を使うシチュエーションがあるとするなら、「文章を書く時に漢字を思い出せない」ときぐらいでしょう。手書きで文章を書く機会が減った現代においては、辞書を引くことの意味はますます小さくなってきていると言えるかもしれません。