これまで4年生の国語の授業では、物語文を扱ってきました。楽しく、前向きな気持ちで文章を読むということが目標で、細部にまで注意して丁寧に読むなどということは要求していません。もちろんそれだけで受験に対応できるわけではありませんが、「楽しく、前向きな気持ちで文章を読む」ことができなければ、国語ができるようになることはないでしょう。
さて、本日の国語の授業では、初めて論理的な文章を扱いました。
説明文や論説文といった、いわゆる「論理的文章」は、物語・小説などの「文学的文章」よりも、筆者が言いたいことがはっきりとわかりやすく書かれていますので、本来は読みやすいはずなのですが、小学生にとってはそうとばかりは言えない事情もあります。
(1)文章のテーマに興味が持てない。
例を挙げて説明させていただきます。
現在、中学受験国語において、最もよく出題されている文章テーマは、広い意味での「環境問題」です。では、小学生の中で環境問題に関心を持っている人がどれだけいるかと言えば、ごく一握りでしょう。
多くのお子様にとって、受験勉強において「読まされる」文章は、興味の持てないものなのです。そうであれば、そんな文章を積極的に読みたいとは思わないのが自然です。6年生にもなれば「受験で必要だから」ということで興味の持てないテーマの文章でも「しっかりと読もう」と思うかもしれませんが、4年生のお子様にとっては、それはなかなかに高いハードルです。
(2)文章中に扱われている語句が難しい。
物語や小説に使われる語句は日常使用するようなものが中心で、全く意味のわからない言葉に出くわすということは多くありませんが、論説文や説明文においては、馴染みのない言葉が高頻度で登場します。本日読んだ文章にも「麻痺」・「文明」・「利便性」・「快適性」・「装着」・「代償」などといった語句が使用されていました。読めない漢字や意味のわからない言葉が少なからず使用されているので、一人で読んでいると「わからない」→「面白くない」→「読みたくない」というような状況になる危険があります。
「文章の最後に(注)を参照すればいいのでは」と思われるかもしれませんが、読みたくもない文章を理解するために(注)を丁寧に読むかと言えば怪しいところですし、また読んだところでそれがお子様が無理なくわかる説明になっているかと言えば、そうでないケースが少なくありません。ちなみにONEでは、文章の後ろに(注)をつけるということは、原則として行っていません。
上記(1)・(2)のハードルをいかにクリアするかが非常に重要です。この困難について意識することなく、論理的文章を読むということを始めると、「論説は嫌い」・「説明文は苦手」という状況に陥る可能性が極めて高くなります。
本日の授業では、初めて自転車に乗る練習をするときのように、補助輪をつけた状態で文章を読み進めていきました(具体的なことを書けず申し訳ありません)。扱った文章は800字ほどの短いものですが、今日の段階では途中までしか読んでいません。来週、繰り返し、もう一度最初から丁寧に読んでもらう予定です。