ONEでは、小4の国語の前期授業においては、イソップ童話・アンデルセンやグリムの童話、日本の昔話などをたびたび取り扱います。なぜ、こういった話を扱うのかということについて、説明させていただきたいと思います。
(1) 面白さ
これらの作品が長い年月を経ても風化せずに名作として残っている最大の理由は、「面白いから」でしょう。実際にこういう古典的な作品を取り上げると、生徒たちはとても興味深そうな様子で読んでくれます。一度読んだことがある生徒でも、楽しく読めるというのも特徴かもしれません。
(2)教訓の普遍性
これらの作品には、「子どもに対しての教訓」という意味合いが含まれているものが多いです。そしてそこで語られる教訓は、いつの時代であっても、子どもに身につけてほしいと思う教訓です。「うそをついてはいけない」・「働くことは尊いことだ」・「友達を大切にしよう」……といったような、教訓がこめられています。こういう子どもにぜひ身につけておいてほしいと思われる普遍的な価値観を知らず知らずのうちに身につけることにこれらの童話は役立つでしょう。
(3)現代人の共通教養であること
おそらく大人であれば、イソップ童話・アンデルセンやグリムの童話、日本の昔話の中の有名なものであれば、たいていは知っているでしょう。現代人の共通教養であると言っても過言ではないと思います。そのことを示す例を挙げましょう。
子供の頃には、「分類して整理せよ」という原則にしたがうのはやさしい。なにしろ、整理すべき持ち物は限られたものだから。
しかし、大人になって多少とも知的な仕事を始めるようになると、この原則に忠実にしたがうのは、次第に難しくなる。仕事が忙しくなるにつれて、扱(あつか)う書類は増える。他方で、仕事に追われて、整理などやっていられなくなり、机の上や書類棚(だな)は、資料や書類であふれてくる。
なぜ、こうなるのか? それは、「情報の分類」には、原理上の問題があるからだ。
情報の分類ができない理由は、「こうもり問題」、つまり、どの分類項目(こうもく)に入れてよいか分からない、ということにある。これは、つぎの場合に発生する。 (野口悠紀夫『超整理法』より)
上の文章はかつてベストセラーとなった野口悠紀夫『超整理法』からの引用です。過去に入試問題にも取り上げられたこともあります。実はこの文章の中で多くのお子様がとまどう表現があります。後ろから2行目にある「こうもり問題」という言葉です。野口悠紀夫氏は読者が当然イソップ物語『卑怯なコウモリ(鳥と獣とコウモリ)』を知っているだろうという前提で文章を書いています。この表現の意味をスムーズに理解することができるのは、『卑怯なコウモリ』を読んだこと、あるいはお話を聞かされたことがあり、話の中身を知っている人だけです。たいへん有名な話なのですが、この話を知らない子どもは少なからずいます。
「王様は裸だ」とさけんだのは、小さな子供だった。賢い人にだけ見えると言われて、ありもしない服を身にまとい、大手をふって街を歩いていた裸の王様。王様はそのとき、どんな気がしただろう? 憎いのは小さな子供じゃない。それまで王様をだまして偽物のおせじをふりまいていた連中だったと思う。(森絵都『子供は眠る』より)
もう一つ。これは森絵都『子供は眠る』からの引用です。この小説は多くの学校の入試問題で素材として取り上げられました。この引用した部分はアンデルセンの『裸の王様』を読者が知っていることを前提に描かれています。では、現代の小学生のどれだけが『裸の王様』を知っているでしょうか。やはり知らないという子は少なからずいるというのが実感です。
もし、これらのお話をお子様が知らないのであれば、教養として子どものうちに読んでおいた方がいいと思います。中学生や高校生になってから読むなどということは絶対にないですから。
三つの観点から古典的な童話を授業で扱う理由を述べさせていただきました。
実際に読んでみると、お子様方はこういった古典童話の世界を十分に楽しんでくれます。そしてそのよくできたストーリーを知り、さらにそこにこめられた教訓的なものをくみ取ります。こういう経験の蓄積が、後に大きな財産になります。
本格的な受験勉強を始める前に、当たり前に知っておくべき教養・当たり前に身につけておくべき感覚というものがあります。ONEの小4の授業では、そういう受験勉強の土台になる基礎を作っていくことを重視しています。