5年生の国語の文章読解の授業においては、前回読んだ文章を再読してもらい、それについての問いをテストとして解いてもらっています。
問いと言っても、いわゆる入試問題のような問いではなく、覚えておくべき語句の意味や前提知識の確認、および文章の要約を記述するというものです。
今週のテストでは、前回の授業で読んだ部分(一回の授業で一本の文章を読み終えることは現時点ではあまりありません)に関する問いに加え、その続きの部分も読んでもらい、続きの一段落の内容を要約してもらいました。
その段落の文章はまだ読んでいませんが、読むための前提知識については繰り返し話しているので、十分に理解ができる内容です。
16名の生徒のうち、1回で文句なしの答えが書けていた生徒は1名。多少稚拙なところはあっても、きちんとした答えが書けていた生徒は3名でした。文章の内容を頭に入れ、しっかりと自分の言葉に置き換えて記述していました。
今回、目立ったのは文章中のここが重要であろうと思われる部分を抜き出しに近い形で記述した答案です。特に気になったのは、段落の末尾の抽象的な部分をそこに使われた言葉(たとえば「叡智」など)をそのまま利用して書いてきた答案です。受験期であれば、これもありですが、現時点においては、あまり好ましいことではありません。文章を読んでそこに書かれた内容を理解していくときは自分が使える言葉に置き換えて理解していくことが必要です。「要するにこういうことだよね」という形で、自分のことばで理解していく必要があります。その際に「叡智」といったような聞いたこともないような言葉は使用されません。
おそらく学校のテストなどで、文中の言葉をうまくつないで記述すると正解になるという経験をたくさん積んだために、そういう癖がついているのではないかと思います。器用な生徒ほど、こういう癖がつきやすいものです。テストの弊害です。また大手塾などで読解問題の演習を数多くやらされてきた生徒にもこういう答案を書く傾向があります。
文中の言葉を抜き出しに近い形で書いてきた生徒には、注意を与え、自分の言葉で書き直しをしてもらいました。今はまだ点数を取るための技術を習得する時期ではありません。読むための前提知識を固め、その知識を使って、書かれた文章を理解していくということを繰り返し、基本的な姿勢を作って行く時期です。
今後の授業においては、こういった形で、未読の部分の要約をすることにも取り組んでもらいます。自分のことばで理解し、自分の言葉で記述するという練習を繰り返し行っていきます。