質問することの難しさ①の続編です。今回は、質問そのものを掘り下げた内容となります。
質問を“的確”にすることはとても難しいです。的確でなければ質問はいくらでもできます。ただし、的確でない質問を繰り返すと、往々にして相手をしてもらえなくなります。これは、大人でも子供でも同じです。同時に、“質問される側”が、質問を的確に捉える能力を有していない場合も、同様の状況に陥ります。このような状況に陥ることを避けるために、“質問”を掘り下げて説明していこうと思います。
質問が難しい理由は、質問をするために必要な要件が満たされていないからです。その要件を説明していきます。
「質問をするために必要なこと」
① 対象に関する最低限の知識
質問をするためには、その対象に関する最低限の知識(リテラシー)が必要となります。この知識が無いとそもそも質問にならないからです。質問には「一定の知識をお互いが有していること」が前提です。質問する側もされる側もこの認識がないと、お互いが“妄想”で会話を進めることになります。このとき、重要なのは、質問する側より、質問をされる側の方が意識的に会話をする必要があることです。質問の受け手は、前提知識の有無を確認しながら話を進める必要があるということになります。
② 具体的な個々の問題との対応
つぎに、知識を手に入れた後、個々の問題に対処していくことになります。しかし、授業で得た知識は飽くまでも抽象概念であることから、具体的な問題と対応させなければいけません。教わったことと、目の前の問題の対応がとれているのかの判断が必要となります。対応のとれていない状況で質問をする場合、「何を質問して良いか分からないけど、質問です」ということになるのです。この対応をとる経験を積ませることが、質問の受け手側の仕事となります。
③ 未来への予見
②と被るのですが、授業で得た知識は抽象概念です。つまり、個々人の価値観の違いで授業の受け取り方が異なることを示します。持っている知識を、「どのような対象」に「どのように使用するのか」が予見できないと質問は的確にできません。これも、質問の受け手側が意図的に誘導し経験させていくことになります。
ここまで書いた段階で、「質問を的確にできるようになる為には、受け手が教育する必要性がある」と思われたのではないでしょうか。全くもってその通りです。質問できるようになってもらうこと自身が学習なのです。
教師は、質問する側に対して①~③のどの段階の質問であるのかを明確にし “学習”してもらいます。当然教師は、①から順に確認をとっていけば効率の良い対応ができることになります。①②の質問受けは、ただ伝えれば終わります。ただし③の段階では単純ではありません。それは、予見したものが互いに異なっている場合、お互いの認識しているものを読まなければいけないからです。つまり「質問する側」「質問される側」相互の能力が問題解決に大きく関わってくることを意味するのです。極論をするなら「質問される側」の能力にかなり依存されると考えて頂けたらと思います。
このように質問をすることも、質問に応えることも、普段気軽にしていますが何気に高度であると感じて頂けたらと思います。意思疎通の難しさを常に抱えながら授業を行っています。だからこそ、6年生後半までは、焦らずにじっくり丁寧がONEの基本となります。