夏期講習から「文化」をテーマとした文章を読んでもらっています。
ここ3週ほどは「文化相対主義」をテーマとした文章を扱いました。もちろん「文化相対主義」という言葉は出てきませんが、小学生が読むのには重たいテーマです。
こういった文章を扱う際は、文章を読み始める前にテーマについての予備知識、そして文章中に使用される重要語句の意味について説明をしています。
中学受験で取りあげられる文章の多くは、小学生を対象に書かれたものではありません。したがって、文章のテーマについての予備知識がほとんどなく、文中に使われる語句にも少なからず知らないものがある……などということは珍しいことではありません。この状態で文章を読ませても、文章の内容は全くといっていいほど把握できません。これでは文章を読ませる意味はないでしょう。
今回の授業では、すでに授業で2,3度繰り返し読んでもらった文章について、2種のテスト(?)を行いました。ひとつめは「知識」に関するテストです。文中に出てきた重要な「語句の意味を説明しなさい」という問題が10題ほど。辞書のような格好いい説明ができる必要はなく、ことばのイメージを把握できているのであれば問題はありません。多くのお子様はしっかりと説明できていました。特別に「重要語句の意味を覚えなさい」などという指示もしていませんし、テストをやるなどという予告もしていないのですが、ことばの意味に関する説明を聞いた上で、文章を繰り返し読み、文章に関わる話を聞くうちに自然と覚えたのです。
「ことばの意味がわからないときは辞書を引きなさい」ということがよく言われます。辞書を引いて、辞書の説明をノートにまとめ、それを覚えるなどということを要求されることもあるのかもしれません。しかしながら、こうやってことばを覚えることには大きな問題があると考えます。
たとえば、今回の文章の中に「妥協」ということばが使用されていました。辞書には「対立した事柄について、 双方が譲り合って一致点を見いだし、おだやかに解決すること」と書かれていますが、これを小学生が読んでイメージをつかめるでしょうか。「妥協」ということばを知っている人であれば、この辞書の説明に納得できるのでしょうが、「妥協」なんて聞いたこともないという小学生はこの辞書の説明を読んで納得できるとは思えません。このぐらいならまだいいのですが、たとえば「アイデンティティ」ということばが分からないということでを辞書で調べてみると「自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものであること。自己同一性。」などという説明が載っています。これで何か解決するのでしょうか。
意味のわからないことばを習得するためには、そのことばの意味を理解できるようにていねいに説明してもらうこと、そしてその後に何度も触れることです。無限に時間があり、何度も何度も繰り返し読めるのであれば「読書百遍……」ではありませんが、ことばの意味の説明などされなくてもよいのかもしれません。しかしながら、受験生の場合にはタイムリミットがあります。そこで、ことばの意味を説明し、その後に繰り返し文章を読んでもらい、何度も触れる中でことばのイメージを身につけてもらえるようにしています。一本の文章に時間をかけ、なかなか先に進まないと思われるかもしれませんが、良い文章を片っ端から食い散らかすように一読だけして、問題を解いたらきれいさっぱり忘れてしまうなどいうことは避けたいと考えております。
長くなってしまいましたので、もう一種のテストについては別の機会に説明させていただきます。