現在、6年生の授業においては「自我」に関する文章を読んでもらっています。
「自我」という言葉は、小学生には全く馴染みのない言葉です。こういう言葉に出会ったときにどうすべきか?
一般的には「辞書を引きなさい」というようなことがよく言われます。しかし、ONEでは「辞書を引きなさい」という指示はしません。
「自我」という言葉を辞書で引いてみましょう。
① 自分。自分自身。我(われ)。
② 哲学で、他人や外界と区別された認識、行為の主体であり、しかも体験内容が変化しても同一性を持続して、作用、反応、体験、思考、意欲の働きをする意識の統一体。我(われ)。
③ 心理学で、意識の主体。自我意識。
これは「日本国語大辞典」の説明です。さて、これを読んで、どれだけの小学生が理解できるでしょうか。
②や③については、理解できるぐらいなら、そもそも「自我」の意味が分からないなどということはないでしょう。①は意味はわかるかもしれませんが、実際に文章中に使われている「自我」を「自分」と置き換えてみたときにすっきりするでしょうか。
「人間は、見失った自然の世界のかわりに人工的世界(文化と呼んでもいいし、社会と呼んでもいいが)をつくりあげ、本能のかわりとして、この人工的世界に対応するための行動を指示する自我をつくりあげた。」
たとえば上記の文中のの「自我」を「自分」と置き換えることで意味が理解できるかと言えば、全くそんなことはありません。
この例からもわかるように、「辞書を引く」という行為は、国語の文章を読んでいて分からない言葉に出会ったときに役に立つことかと言えば、少なくとも小学生にとってはあまり有効なことではないでしょう。
わからない言葉の意味は、「わかっている人に、わかるように説明してもらう」というのが正解です。わかった後で繰り返し文章を読み、その言葉の意味がスムーズに理解できるようにしていくことにより、語彙が豊かになっていきます。
辞書の有用性を全面的に否定するつもりはありません。ある状況のもとでは辞書は非常に便利なツールになります。また、辞書によっては、読み物として面白いものもあります。
しかしながら、とにかく「分からない言葉に出会ったら辞書を引こう」というのは、少々乱暴に過ぎるアドバイスではないかと考えています。